こんにちは。
Mt.Woodsです。
僕は脱サラをして今は主夫をしています。
このブログではなぜ脱サラをするに至ったか、という思考の経緯をご紹介しています。
以下、関連記事のまとめです。
会社員として老人になるまで縛られるのは嫌で、いつかは独立して自由人として生きてみたいと考えていました。でも、現実的にそれを可能にする方法が思いつきませんでした。
その時、出会った言葉がサバティカルです。なにもずーっと独立を維持しようとしなくても良いのでは。
長期間働いてきた人は最低でも半年、理想は3年仕事を休むべきである。そうすることは自分にとっても社会にとっても良い結果をもたらす。
3年あれば十分休んでリフレッシュすることが出来る。
3年あれば新しいことを学んでより社会に貢献できるようになる。
そいう話に僕は反応しました。
それまでは、サラリーマンをしているうちに独立できる能力を身につけて、
その能力が身に付いてからでないと独立してはいけない、
一度脱サラをしたらそれを続けなくてはいけない、と漠然と思っていたのです。
それが、この言葉を知って、
取り敢えずやめて蓄えが続く間、自由に生きて、
その間に何かやれることが見つかったらそれを続ければいい。
経済的に生活が維持できなくなったらまたサラリーマンに戻ればよい、
そう思えるようになったのです。
僕は社会人になってから親に経済的に依存したことはありませんし、ましてやよそ様に借金をしたこともありません。
家族には平均よりも豊な生活をさせてきたという自負もあります。それはきちんと勤めを果たしてきたからです。
その結果、穏やかで楽しくみんながくつろげる家庭を築くことが出来ました。
それはそれで大切なことですが、もっと自由に生きたい、という思いを抑えることが難しくなっていました。
その時に出合ったのが「ゆるく考えよう」という本です。
このあとがきにうたれました。出合って1年以内に脱サラしています。
一度も自由に生きずに人生を終わったとしたら、僕が僕として生まれて来た理由はどこにあるのでしょう。
主夫のススメ、中年男性よ、会社にしがみついていて楽しいですか?
MRという製薬会社の営業は給料はよいですが40歳、50歳と歳をとってくると邪魔者扱いされるようになります。幸いぼくはそこまで行っていませんでしたが、時間の問題だと考えていました。
会社から必要ともされず、邪魔もの扱いされて、給料はさがり、再雇用ではバイトよりも年収が低い待遇。そんな扱いをうけてまで会社にしがみつきたいとは思えませんでした。
45歳。今ならまだ何か新しいことに挑戦できるエネルギーがある。60歳、65歳なったら体がゆうことを聞かなくなているかもしれない。
やるなら今だ。ダメなら50歳くらいまでなら戻れるはず。
そう考えました。
定年後やることもなくぼーっと過ごすには人生長くなり過ぎた。
自分のやりたいことをやり、それで人から喜ばれて生涯現役で充実した人生を送ろう。そのためには定年退職のない独立起業を目指そう。
「積極的に生きる」という本を読み、著者の講演テープを繰り返し聞いているうちに独立を目標にする意識が強くなりました。
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