小岩

小岩に根を生やすニューヨーカーが教える英会話学校の思い出

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社会人になって地元から4時間離れた広島に配属

僕は東京で生まれて東京で育ち家族も友人・知人もみんな東京近郊に住んでいました。

大学卒業後に縁あって製薬業界で働くことになりました。
福利厚生もよく、勉強もさせてもらえるという点では良い仕事でした。

ただ、働く場所を会社から決められるというのが僕にとっては苦痛でした。

最初の配属先は広島でした。

広島はとっても良い場所です。
1年しかいませんでしたが大好きな街になりました。

でも、東京から遠いのです。

当時の記憶ですが、新幹線のぞみを使っても4時間です。
本を読んで眠くなって寝て、また本をんで寝て目が覚めてもまだつかない、そんな距離です。

空港は広島市内から離れていて高速道路を使って移動するくらいの距離にあります。

ドアツードアで考えたら、広島⇔東京間は飛行機でも新幹線でも大して時間に変化はありませんでした。

広島は良いところですが、どんな手段を使っても遠いのです。

次の配属先は岡山県

広島で働いていた時の会社は、そこよりも大きな会社に吸収合併されました。

当時の僕は若くて仕事も分からない駆け出しでした。

自分に力がなかったからというのもありましたが、
吸収される身というのは嫌なものでした。

事務所の先輩はよくしてくれましたが、
当時の上司のことは今でもよく思うことが出来ません。

得意先の先生方は、今思うととても思い出深いです。

MRになってどうやったて薬を売ればよいか分からなかった僕は
取り敢えず先生(医師)のところを通い続けました。

ろくに話もできない僕のことを
暖かく見守ってくれた先生方がたくさんいました。

昨年、僕が担当していた岡山県高梁市が集中豪雨で被害にあい、
ボランティアが極端に不足しているというニュースをネットで見つけて
ボランティアに行ってきました。

それくらい、思い入れのある地域です。

でも、当時は本当に辛かったです。
鬱だったろうなあ、と思うくらいです。

東京に帰りたくてしょうがなかったのです。

転職に成功!東京支店のはずが!?

岡山で働いたのはわずか2年でした。

とても良い人に巡り合えたということもあり、
特定の分野では上位に上がれるようになり
自分に力も自信もついてきました。

その結果、転職に成功することが出来たのです。

仕事が軌道に乗りかけていたので
転職は考えていなかったのですが、

関東に帰れるかもしれない、という話にだったので
転職にチャレンジしたのです。

そして、転職が決まって、その後配属先が言い渡されました。
東京第三支店長野営業所。

東京支店って言っても長野じゃないかあ~!!

でも、まあ、中国地方よりは馴染みがあります。
車で帰ることもできる距離です。

その転職を受け入れました。

そこからまた東京を目指せばよいと考えたのです。
27歳の時でした。

長野での日々

27歳で長野に配属になり、自分で30歳までに東京に帰る、という目標を持ちました。

TOEICで750点取れば製薬会社の本社マーケティング部に異動あるいは転職できると師匠に言われて、
辛いのも我慢して泣く泣く英語の勉強をつづけました。

初めは全然ダメでしたが、試行錯誤しているうちに
勉強方法を自分で発見することが出来て、
そこからはグングン成績が伸びてTOEICで870点を取ることに成功しました。

800点越えは3回くらいありました。
一昨年、44歳になってから再チャレンジして835点を取ることができたので、TOEIC力(英会話力でありません)は確実に身についたと思います。

そして、晴れて東京に移住出来たでしょうか。
なんとできなかったのです。

師匠からは「時代が変わっちゃったんだよ~。英語できるやつがすげー増えてさー」
みたいな感じの説明でした。

絶望的でした。悲しかった。
この時は本当に鬱になりました。

良くしてくださっている先生が心配して
鬱の簡易テストを僕にやらせたのです。

「軽傷うつ」の診断でした。

体に力が入らなくて手の毛穴が開くような感覚があり、
ただただ悲しかったのです。

辛かったです。あれでも「軽傷」って、重症の人はどんだけ大変なんだよ~、と思いました。

ただ、僕は本当に鬱だったのか少し疑問に思っています。

薬も処方されましたが、妻とも話をして、1回飲んだだけで、それ以降飲みませんでした。

自分が大切にしている人は東京に住んでおり、どこに住むのか自分の人生なのに自分で決められない状況に僕は絶望していたのです。

原因は明らかでした。

鬱を薬で解決することよりも、
鬱のつらい状況をバネにして実力をつけて問題を解決しようとしたのです。

チーム内での人間関係も難しいものがありましたが無視しました。
子供が生まれて、そのエネルギーの強さにびっくりしました。
後で自閉症だと分かって納得しましたが、本当に大変でした。

次男が生まれてみたら、その子は寝てばかりで、子供が違うとこうも違うものなのか子育て、と驚いたものです。

そういう中でも仕事では実力がついてきて、
自己啓発にも力を入れました。

本もたくさん読みました。
通信教育の速読も試してみました。
フォトリーディングというセミナーに申し込んで東京に行ったりもしました。

そして、自力で見つけた会社の転職に成功し、東京に今度こそ戻ることが出来たのです。

33歳。東京を出てから10年が経っていました。
あれは嬉しかった。

恋焦がれた東京に戻って活力爆発

東京に戻るとありとあらゆることが変化しました。

今までは循環器、生活習慣病の薬を売っていましたが、
より専門性が高いと考えられている「抗がん剤」を扱うようになったのです。

今までは開業医の先生を中心に活動していましたが、
東京に戻って、がん専門施設、大学病院など、日本を代表するそうそうたる施設をいきなり担当するようになったのです。

はっきり言ってビビりました。

しかし、良い人にも恵まれ励まされて頑張ることが出来ました。

知的な人が周りに多く、マーケティングにも英語学習にも興味を持っている人が沢山いました。

グロービスというビジネス専門学校に行ってマーケティングの勉強をしたり、フォトリーディングを再受講したりもしました。

そして、英語の個人レッスンも受けるようになったのです。

地元密着型のマイクの英会話学校は信用出来る!

長い長い前置きになってしまいました。

そんなこんなでやる気が爆発していた僕は、地元小岩にあるマイクの英会話学校で個人レッスンを受けることになったのです。

地元小岩と言っても実はなかなか広いのです。

しかし、マイクの英会話学校は江戸川駅のすぐそばにあり、
まさに僕が子供のころ遊んでいた地域の中にあります。

友人宅の目の前です。

お蕎麦屋さんの三河屋の上にあります。
そこの娘さんと結婚したアメリカ人が開校している英会話学校なのです。

駅前留学経験

僕は現在45歳で団塊ジュニア世代です。
僕が高校生の頃に「これからは英語が必要になる」と言われて
「駅前留学」というキャッチコピーで世を席捲した学校がありました。

結構な値段がしましたが、入会しました。

ダメでしたね。

30年前の話ですよ。今のチェーン展開している英会話学校は進化していると思いますが、僕が高校、大学の時に通った英会話学校は良いとは思えませんでした。

曜日が固定されていないので、習慣化しずらいし、
通うたびに先生が変わるので、学習に継続性がないのです。

先生も、腰掛でやっているので、生徒の教育に責任感が薄い、
とのちに何かで読んだことがありました。

その話に納得した記憶があります。

小岩マイクの英会話学校はここが素晴らしい!

マイクの英会話学校の素晴らしいことは、
小岩に住んで20年のニューヨーカーが
自宅で英会話を教えていることです。

いい加減なことをすれば噂はすぐに広まる地域です。

責任感を持って授業を行い信用を積み重ねてきた教室です。

僕がここに通っていたのは10年前ですが
今でも存続しているということはより信用を築いている証拠になると思います。

小岩 マイクの英会話学校

公式ホームページをご覧いただければ確認できますが、
マイクは複数の高校でも日本人を対象に英会話を指導しています。

僕が通っていた当初もやっていたので、
ずーっと続いていることになります。

英会話の指導についてもプロですし、
個別指導を受ければ、状況に応じてレッスン内容を変更してくれます。

テキストを使ったりビデオ教材を活用したりして英会話を学びますが、

通い続けていると仲良くなるので、雑談の時間も長くなります。
はっきり言って、これが英会話の練習になるのではないかと思います。

ニューヨーカーと名乗っていますが、正確にはブルックリンのはずです。
ブルックリンはニューヨークなのかな?
良く分からないのですが、大阪と尼崎のような関係だと思っています。

非常に、人間味あふれる人で、僕はマイクが大好きでした。
確実に英語力が進歩している手ごたえも感じていました。

突然のマイクとのお別れ

マイクの英会話学校には1年通いました。

その間はMRをしていました。
僕はMRでしたが、主要施設を担当していたため本社の人と仕事をすることがととても多かったのです。
また、新薬発売前はジョブローテーションという名目でマーケティング部の仕事をやらせてもらっていました。

本社の仕事半分、MRの仕事半分のような生活でしたが、モチベーションが高かったので週末も英会話学校に通う余裕がありました。

その後、正式にマーケティング部に異動になって生活は一変しました。
色々な要因はあったのですが、とにかく業務量が膨大でした。

始発から終電まで働いても仕事は終わらず精神的にも不安な時期でした。
出張も多く体力的にも厳しい時代でした。
社内の権力闘争にも巻き込まれてストレスフルな環境でした。

直属の上司が神様のように尊敬できる人だったので何とか持ちこたえていましたが、マイクの学校に通い続けるのは無理だと思いました。

そして、出張先から、電話で退会をマイクに伝えました。

マイクは「ひできのように30代半ばの人間がすごく忙しいのは理解できるよ。分かった」
そう言って彼は理解してくれました。

でも、僕は、会いにもいかず、電話だけで関係を終わらせてしまったことを今でも後ろめたく思っています。

友達のような関係になっていたのです。

今でも彼の教室が順調に続いているのを見ると安心します。

応援したい小岩密着型の英会話教室です。

-小岩

執筆者:


  1. Chee より:

    ひできさんは英語も頑張っておられたのですね。
    私は何のテストも受けた事が無いまま、アメリカ人になってしまいました。汗
    マイクさん良さげですね。ニューヨークとかボストンの下町の人も、東京や大阪の下町の人と同様で、割とストレートに早口でポンポン喋るんですよね。
    こういう人たちと話していると、頭の回転も早くなると思います。

    • mtwoods2018 より:

      ストレートに早口でポンポン喋る
      まさにそうでした。

      非常勤で通っている高校の生徒と口喧嘩になった話を聞いた時はまさにそうでした。
      僕はゲラゲラ笑いながらその話を聞きました。

      Cheeさんは英語のテストなんか受けなくても高校生のころは秋葉原で英会話していたんですよね。

      テストなんて意味あったのかなあと思います。

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ひでき

 

脱サラ、フリーランスに特化した
「ひできの脱サラ日記も始めました。

 

はじめまして。
ひできです。メールアドレス MtWoods2015@yahoo.co.jp

母方の祖父母から4代小岩に住んでいます。
大学卒業時就職活動に失敗し小さな製薬会社に就職。
そこではスキルが身に付かないと危機感を抱いて1年で退職。外資系製薬に転職。入社後即、そこよりも大きな外資系製薬に吸収合併されて上司、先輩の多くがリストラされるのを目の当たりにしました。
そこから転職を繰り返してより専門性を高め、高めた結果、目標になる上司、先輩、同僚が見当たらず仕事がつまらな過ぎて脱サラ。
2018年は1年間主夫をしながら家族とたっぷりの時間を過ごしながら父の介護もしていました。
長男は自閉症。
20年専業主婦だった妻は代わりに仕事を見つけて働きに出ています。仕事以外に5つのコミュニティーい所属して日を追うごとに活性化しています。
脱サラ直後はFX(外国為替証拠金取引)で生活費程度稼げていましたが、2018年8月のトルコリラショック以降お小遣い程度の収入。
インターネットビジネスに希望を見出して「慶應わっきー」で勉強してブログスタート。いつかはパソコン1台で稼げるようになりたいなあと夢に満ち溢れている1973年生れの45歳です。