小岩

東京人と胸を張れない小岩の民

投稿日:2018年11月5日 更新日:

小岩は東京都23区内にある街です。

ぼくは社会人になって10年間東京を離れていました。
広島、岡山、長野に合計10年住んでいました。

初めて会う人には出身を聞かれるのはよくあることですが、
事実なので「東京です」と答えます。

やはり日本において東京は特別です。

「とうきょう~」
といろいろな感情をこめた言葉が返ってきます。

しかし、きっと小岩の人なら共感してもらえると思うのですが、
小岩の民にとって、「東京出身です」というのはなんとなく気恥ずかしいというか
申し訳ない気になる感覚が多少なりともあるはずです。

関東以外の地域の人にとって、東京と言われてイメージするのは
四谷、赤坂、麹町、チャラチャラ流れる御茶ノ水、と
山手線内の都心部だと思います。

小岩はそんなオシャレなイメージは皆無です。
オシャレをしなくても歩ける街「小岩」です。

確かにイメージは大事ですが、
なぜ小岩の人は「東京人です」と胸を張って言えないのか、
歴史的に考察してみようと思います。

まず、東京はかつて江戸でした。
では、小岩は江戸だったのか。

江戸って街は通称らしいのです。
正式な行政区分で言えば、武蔵の国です。

江戸は、江戸城周辺の城下町を指しました。
それが時代とともにどんどん拡大していきました。

江戸がどこまでか、というはっきりとしたした
区分はなかったと読んだことがあります。

ただ、それでは江戸町奉行所が困るので
だいたいこの辺、と線引きしたことがあったそうな。

他の地区は知りませんが、
川の手地区で言うと、江戸は亀戸までだったそうです。

ああ、なんとなくわかります。
亀戸天神とか亀戸駅周辺とか、江戸の雰囲気を残しているような気がします。
平井にそのオーラはありません。

では、小岩はなんだったのか。
江戸郊外、だったそうです。

これは江戸時代の話です。
更にさかのぼると、小岩は武蔵の国ですらありませんでした。

小岩は千葉だったのです。

「小岩出身です」というと相手が千葉出身の人だった場合
「なんだ千葉じゃねえか」というなぞのレスポンスが返ってきます。

しかし、歴史的に調べるとあながち間違いではありません。

大雑把に言って、東京は武蔵、千葉は下総です。
東京と千葉を結ぶので総武線です。

この線引きがかつては隅田川だったのです。

なので、武蔵と下総の境である町が「両国」と呼ばれました。

関東には北條氏という名家が二つあります。

一つは鎌倉幕府の北條氏です。
もう1つは戦国大名の北條氏です。

北條氏の子孫がお医者さんになっていて、
僕は担当していたことがあるのですが、
なんとなく話しかけにくい威厳を備えていました。

ある日、勇気を出して聞いてみました。
「先生は北條氏の末裔だと伺ったことがあります」
うなずく先生
「どちらの北條氏でしょうか」
「鎌倉です」

わおー、でした。

北条政子の子孫だったのです。
ということはかつて日本の実質的王として君臨していた
血筋ではないですか。

今の時代出自とかあまり問題にするのはどうかと思いますが、
がですよ、目の前にそういう人があらわれたら動揺しますよ。

え、小田原の北條さんは後北條というとか、
家紋である三角形の形がやや違う、とか
教えてもらったのですが、動揺していたので忘れてしまいました。

脱線しましたが、小岩に関係があるのは
戦国大名の小田原北條氏です。

戦国時代、関東は北條氏と里見氏が勢力争いをしていました。

その合戦の場になったのが市川市里見公園です。
記念碑があります。慰霊碑もあります。

2回戦って両方とも北條氏が勝ちました。
その段階で小岩地区は千葉から分離されて東京側に入ったと思われます。

キチンと小岩が武蔵の国に編入されたのは江戸時代に入ってからです。
歴史学者の磯田道史さんか本郷和人さんのどちらか忘れましたが
テレビで解説されていました。

徳川四代将軍だっと思うのですが、その治世に川の手地区が武蔵に編入されたと。

武蔵とか下総とかは律令制の名前で、
織田信長以前は地名の命名権は朝廷が握っていた、
と井沢元彦さんは言っています。

なので、小岩地区が正式に武蔵になったのは、
明治維新になってから、というのも読んだことがあったように思います。

実際にこの土地を支配していたのは武士なので、
小田原北條氏の時代から小岩は東京側だったのですが、

名目的には長いこと千葉だったのです。

まあ、この辺のことはややこしい上に
ちゃんとまとめて書いてくれている本にであったことがないのですが、
だいたい間違えていないはずです。

で、小岩人にとって下総では嫌か?というと僕はそんな感じは持っていません。

下総との関係性が良く分からないのですが、
江戸川周辺の南北に長い地区はかつては葛飾郡と呼ばれていて、
その中心は市川国府台(鴻之台)だったそうです。

国府がある台で国府台です。

この市川国府台は小岩の人間には馴染みのある町ですが、
万葉集にも歌われた土地で、
昔の文学者には憧れの町だったそうです。

里見公園のある国府台を小岩側から眺めると
とても美しい緑の風景が広がっています。

僕はそこをみて育ちました。

木戸孝允だったか正確には忘れましたが、
その光景の美しさはロンドンのテムズ川とビックベンを連想されるから
日本の国会議事堂は国府台に置こう、と言っていたそうです。

それは実現しませんでしたが、国会議員の別荘地として
国府台は存在していた時期があり、

また、戦中は陸軍の基地があり、
将校が利用する料亭もあったのです。

その名残が市川にはあります。

上品で風情のある街です。

こんな景色小岩にはありません。小岩は猥雑な街です。

みんなが大好きなタモリさんはブラタモリで、
「聖と俗」この両方がある町が繁栄する、と明言を残されています。

市川が聖、小岩が俗、
この2つがセットになったら面白いじゃないか、
と僕は思うのです。

なので、かつて小岩は千葉だった、
と言われても嫌ではないのです。
国府台とセットだから。

-小岩

執筆者:


  1. Chee より:

    東京の東側の方が東京らしいですよ。昔を遡ってもそうなんですね。
    私なんか板橋区&練馬区だから感覚が埼玉です。

    • mtwoods2018 より:

      埼玉県北本市出身の妻にこの話をしたら「ふふっ、池袋超えたら埼玉だよね」と言っておりました。悪く思わないでください。
      MRとして僕は7年間埼玉を担当していましたが、外環自動車道よりも南は東京だと錯覚していました。結構地理感覚あるんですけどねえ。
      律令制で言えば、埼玉、東京、川崎市は昔から武蔵の国ですよね。
      板橋に関所があって、新選組の近藤勇が晒首になりました。やっぱり板橋より北は埼玉かなあ、感覚的に。
      練馬は絶対江戸って感じしないですね、イメージですが。

  2. […] 東京人と胸を張れない小岩の民 この記事で、 […]

  3. Jeadously より:

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ひでき

 

脱サラ、フリーランスに特化した
「ひできの脱サラ日記も始めました。

 

はじめまして。
ひできです。メールアドレス MtWoods2015@yahoo.co.jp

母方の祖父母から4代小岩に住んでいます。
大学卒業時就職活動に失敗し小さな製薬会社に就職。
そこではスキルが身に付かないと危機感を抱いて1年で退職。外資系製薬に転職。入社後即、そこよりも大きな外資系製薬に吸収合併されて上司、先輩の多くがリストラされるのを目の当たりにしました。
そこから転職を繰り返してより専門性を高め、高めた結果、目標になる上司、先輩、同僚が見当たらず仕事がつまらな過ぎて脱サラ。
2018年は1年間主夫をしながら家族とたっぷりの時間を過ごしながら父の介護もしていました。
長男は自閉症。
20年専業主婦だった妻は代わりに仕事を見つけて働きに出ています。仕事以外に5つのコミュニティーい所属して日を追うごとに活性化しています。
脱サラ直後はFX(外国為替証拠金取引)で生活費程度稼げていましたが、2018年8月のトルコリラショック以降お小遣い程度の収入。
インターネットビジネスに希望を見出して「慶應わっきー」で勉強してブログスタート。いつかはパソコン1台で稼げるようになりたいなあと夢に満ち溢れている1973年生れの45歳です。