介護

脊髄損傷父介護 ケアマネージャーとの連携や加齢について

投稿日:2018年10月29日 更新日:

こんにちは。
Mt.Woodsです。

脊髄損傷の父介護 主治医の先生との打ち合わせ
の続きです。

10月25日の朝
父が倒れて2日後。
前夜に主治医の先生からケアマネージャーに連絡するように指示を取れたのでケアマネージャーに連絡して状況を説明しました。

ケアマネージャーのTUさんは、
「ああ、じゃあ、主治医の意見書をT先生が書いてくれるのですね」
と、先生が言っていたことの意味を解説してくれました。

介護保険は区が関与しています。
色々な症例を経験し、区も対応が変わってきているそうです。

入院直後は最も状態が悪いので
直ぐには区分変更の手続きを進めてくれない。

なので週明けの月曜日に区に手続きを進めにアプローチします、
とのことでした。

一旦電話を切った後、すぐにケアマネージャーのTUさんから電話が入りました。
早速病院に連絡をしてくれた、というのです。

このケアマネージャーさんは、時間外でも休日でも対応してくれるし、
両親がオムツを依頼した時は翌日すぐに事務所にあった予備のものを届けに来てくれたそうです。

良いケアマネージャーさんにあたりました。

電話の内容は、
まだ病院のソーシャルワーカーの父の担当が決まっていないので病棟看護師のKさんと話をした、手術を前提に進めているので、手術をしたらまた容態が変わるから、それが終わってから手続きを進めたほうがよい、ということになった、
とのことでした。

最もな意見だと思いました。しかし、主治医のT先生の指示とはずれました。
主治医と病棟看護師とケアマネージャーで情報が共有されない可能性が心配されました。

ケアマネージャーとの連絡が済んでから
今度は病院に入院手続きをしに僕は向かいました。

予め準備していたこともあり、
入院手続きはスムーズに完了しました。

手続きのみで父には合わない予定でした。
以前、喧嘩した時は入退院の手続きのみを行い、
看病は母にまかせていました。

しかし、今回は手足が動かないし、せっかく病院まで来ているので
少し顔を出すことにしました。

病棟のナースステーションにつくと
ケアマネージャーと連携をとってくれた看護師のKさんがいました。
なんかここの病院のスタッフはタイミングがよいです。

Kさんはケアマネージャーが言っていたことと同じことを言っていました。
僕がT先生から指示を受けたが、内容が変わったのでK先生にそのことを報告せねば、と言ったら「私がやっておきます」とのことでした。

看護師のKさんはきっと優秀なのでしょう。
でも僕は彼女と若干噛み合わないものを感じました。
相性というものでしょうか。
気をつけてうまくやらねば、です。

病室に入ると父が
ケアマネージャーと看護師Kさんとのやり取りのことを
話始めました。

僕が動かなければケアマネージャーは動かないのですから、
こちらは全部把握しているのに、
父は滔々と語るのです。

わかってるっちゅーに!

それから、母に伝言で
「あれと、これと、それと、あれを持ってくるように伝えてくれ」
と矢継ぎ早に言います。

もう色々あるので、忘れないようにメモらなくてはなりません。
スマホに音声入力でメモを残します。便利~。

昨晩届けたウォークマンを充電してくれとも言われました。
コンセントはここだ、と。

ウォークマンと充電器を取り出すと輪ゴムが落ちたので拾うと、
「違う、コンセントはここだ」
というのです。

カッチーン!!
うるせーよ!

父は自分が指示して、自分がイメージしたとおりに動かないと
口をだすのです。

作業をしていれば、輪ゴムも落ちたり
色々状況は変わって、
父のイメージ通りに人が動くとは限りません。

お前のためにこの2,3日すべて時間と労力を使っているんだ。
人のやり方にいちいち口をだすな、うるさい!

と思うのですが、僕は即そういうことが言葉になりません。
「輪ゴムが落ちたから拾ったんだよ」
とだけ不機嫌全開で言いました。僕が一番激しかった30歳前後だったらゴミ箱でも蹴飛ばしていたでしょう。

それはさておき、一昨日は全く動くことの出来なかった父ですが
手も足も不自由ながら動いているのです。

とは言えナースコール子機も押せませんし、
スマホも使えません。

でも、動けなかったのが動いているのですからすごいです。
脊髄損傷を起こしたのでもう動けないのではと思っていましたが
血行まで良くなっています。

父のとの面会は終えて、
まいばすけっとでお昼を食べて
実家に行きました。

実家では昼飯を食べながら母と事務処理をしました。

まず、入院手続きの際に受け取った10万円の保証金の預かり証明書です。
これがないと精算時に面倒になります。

それから、僕が立て替えていたお金の精算です。
領収書に「済み」と書いて母に渡します。

高額療養費とか税金とか
何かに必要になる可能性があるので
入院関連としてひとまとめにしておくことにしました。

また、T大病院でもらった封筒、E病院でもらった封筒も母に渡しました。
今回の入院関係で一式、何かの箱に入れておくとよい、と話をしました。

後日談ですが、この封筒は預かっていない。
預かったのは領収書だけで、ほら、箱には領収書しかない、
ヒデキが持って帰った、と母に言い張られたのです。

携帯メールでも母は「届いていない」と言い張り、
確認したら「あ、来てた」ということがありました。

兎に角、家に戻って確認しましたが封筒はありません。
僕のほうが記憶は確かですが、
色々あったので、この件に関しては記憶があいまいだったのです。

しかし、あるべきものがない、
書類は、沢山渡されるが、なにが大切で、なにが不要か分からないので
まとめて入れていて、
それがなくなったとなったら再発行とかまた面倒です。

書類って本当にストレスじゃないですか。
それがなくなった、ということが本当にストレスになりました。
確認もしないでこちらのせいにした母にもイライラしました。

母に、僕の家にはないことを伝えると、
数分後に「あった」と母から連絡が入りました。

ウキッー!
どうしてこんな思いをしなければならないのだああ。

実は我が家には実の姉がいます。
姉は父と断絶しています。
僕も姉と断絶しています。
母も連絡だけで会っていません。

姉は父が入院している病院から最も近いところにすんでいます。

僕も父とは必ずしも良好な関係ではありません。
あまりの自己中心的な父に腹を立てて
今年のはじめに喧嘩をしてあっていませんでした。

介護保険の適応になったというので
手続きを代行してあげて、
それをきっかけに再会するようになったのですが、
ちょっと優しくすれば調子に乗って図々しくなったので
長文メールでクレームしたら全然会わなくなって、
そうしたらこの結末です。

まあ、介護をしていれば面倒なことストレスになることも起こります。
姉はそれに関与していないので、不公平さを感じないこともありませんが、姉が介入してくると、余計不愉快になるので、
僕が1人で対応したほうがよっぽど気楽です。

そして、25日の昼の話に戻りますが、
父から頼まれた伝言を母に伝えると母は甲斐甲斐しく準備を始めます。

母も父とは必ずしも良好な関係ではありませんが、結局やってあげます。なんだかんだ言っても前回入院した4月でも毎日お見舞いに行っていました。

夫婦のことは夫婦にしかわかりません。

?そうかな。ぼくは自分の夫婦のことも分からないなあ。
妻、つまり、自分以外の人が何を考えているかなんて、分かる訳ないですよね。

まあ、それはさておき、頼まれものを準備した母は内容確認をします。
4つ頼まれていたことの2つを忘れていました。

今思えば確認しただけよいことですが、
老いたなあ、と思います。

父が介護保険の適応になってから
実家の1階に父の寝室を移動し、テーブルセットを新たに購入して、
雰囲気がだいぶ変わりました。

見えるものも変わりました。

僕の長男と母が駅前の道をベビーカーで歩いている写真がありました。
とっても良く写っている写真でした。
僕の記憶にはない写真です。

長男のR君はおそらく2,3歳です。
母は62,3歳でしょうか。

今はお互い15歳と75歳です。

この間、子どもは大きくなり、母は老いました。
あっという間の10年でしたが、確実に時間は過ぎました。

ぼくは自分だけ変わっていないと本気で思っています。

脱サラしてから中1になった次男とは本当によく話をするようになったのですが、先日次男が「僕の弱いところは反射神経なんだ」と言い出したのです。

問題点をはっきりと認識できることは素晴らしいことだ、と褒めて
次の日僕は対策を考えました。

Youtubeの動画を見ましたがピンとくるものはありませんでした。

次にiPadでアプリを探しました。
ありました。沢山。
反射神経をよくする、ゲームです。

9つのライトが点灯したところを素早く押して、
所定数を何秒で押せるかを測定できるアプリがありました。

僕がやって見せて、それから次男にやらせたら、
次男はどんどんコツをつかんで早くなります。

なんと1秒も僕は負けてしまったのです。
ショックでその後1人で隠れて練習しましたが
0.5秒までしか縮められません。

反射神経のピークは25歳だと言います。

妻は「自動車のブレーキを踏む速度もきっと遅くなっているね」と嫌なことを言います。

ぼくも確実に歳をとっていました。

 

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母方の祖父母から4代小岩に住んでいます。
大学卒業時就職活動に失敗し小さな製薬会社に就職。
そこではスキルが身に付かないと危機感を抱いて1年で退職。外資系製薬に転職。入社後即、そこよりも大きな外資系製薬に吸収合併されて上司、先輩の多くがリストラされるのを目の当たりにしました。
そこから転職を繰り返してより専門性を高め、高めた結果、目標になる上司、先輩、同僚が見当たらず仕事がつまらな過ぎて脱サラ。
2018年は1年間主夫をしながら家族とたっぷりの時間を過ごしながら父の介護もしていました。
長男は自閉症。
20年専業主婦だった妻は代わりに仕事を見つけて働きに出ています。仕事以外に5つのコミュニティーい所属して日を追うごとに活性化しています。
脱サラ直後はFX(外国為替証拠金取引)で生活費程度稼げていましたが、2018年8月のトルコリラショック以降お小遣い程度の収入。
インターネットビジネスに希望を見出して「慶應わっきー」で勉強してブログスタート。いつかはパソコン1台で稼げるようになりたいなあと夢に満ち溢れている1973年生れの45歳です。