介護

脊髄損傷の父介護 主治医の先生との打ち合わせ

投稿日:2018年10月28日 更新日:

こんにちは。
Mt.Woodsです。

脱サラ主夫の介護日記 入院手続きと退院後の検討
の続きです。

E病院に転院となり、僕はホッとしたのか
それまでの出来事が多かったからか、
それ以降のことをよく覚えていません。

父の病室の隣に家族用の待合室があり
そこで待たされていたように思います。

病棟担当医、看護師さんたちが
かわるがわる父のところへ行っていたようです。

父はステロイドの治療の継続を希望していて、
病棟担当医にその薬の名前を言ってくれ、と僕に言われました。

僕が薬の名前を言うと、
急性期に1度だけ使うもので継続して伝える薬ではない、
という感じのことを病棟担当医は言っていました。

T大病院ではステロイドの副作用として
高血糖、胃腸障害もう1つは忘れましたが3つの説明を受けました。

そこに入っていなかったし、うっかりしていましたが、
ステロイドの副作用には免疫低下があります。

これは顕著に出ます。

免疫が落ちると高齢者は感染症にかかりやすくなります。
肺炎は今や代表的な死亡原因です。

整形外科の先生は感染症の管理は得意そうには思えません。

ステロイドを使うの嫌なんだろうなあ、と思いました。

集団生活の病棟で感染症を起こしたら
他の患者への感染のリスクもあがります。

しかたないか、と思いました。

先生がいなくなった時に、
ステロイドの治療はダメだったね、的な話をしたところ
父が
「もう一つのあれ、何って言ったっけ?
あれを相談しようと思っている」

と言います。
何のことかわかりませんでした。
ちょっと考えたらこういうことでした。

僕は先生にメチルプレドニゾロン、と薬品名を言いました。

父が言う「もう一つの薬」というのは「ステロイド」のことでした。
メチルプレドニゾロンがダメだ、と言われたから、ステロイドの治療をしてもらうよう相談してみる、と言うのです。

メチルプレドニゾロンとはステロイドのことである。

風邪薬という分類の中に「ルル」があるように
ステロイドの中に「メチルプレドニゾロン」がある、と説明しました。

後に母にこの話をしたら母はステロイドのことを良く知っていました。
母は介護のこともよく知っていました。

ケアマネージャーとの打ち合わせ内容を母に伝えると、
良く分かっているのです。

母は自分の健康に非常に関心が高く勉強もしていますが、
父は真逆で何もしりません。

看護師さんから問診票を渡されてそれに記入をしました。
わかる範囲は僕が書いて本人でないと分からないことは
父に聞き取りをして書きました。

最初の質問は
「今、一番つらいことはなんですか」
とありました。

こういうことは沢山書いたほうがよいので、
辛いと思うことを全て言わせて書きました。

最後の質問は「なにか要望はありますか」
でした。

父はそれに一つ答えるとあとは明らかに飽きた様子を示していました。
ムカつく。

書いて伝えればそれは残りますし
多くの人の目に触れます。

思いつきでポンポン言われても対処するほうは大変です。

問診票を書き終えて看護師さんの様子を伺っていると父が
「もう帰っていいよ」
と言います。

看護師さんに「帰っていいんですか?」
と確認すると、
「いえ、まだお伝えすることがありますので」
とのことです。

なんもわからないくせに仕切るんじゃねえよ、
と腹が立ちます。

父はその場を支配したがるのです。
手も足も動かせなくなって人の世話にならないと生きていけないのに。

そういう場面が救急外来でもありましたが、
書くのもうんざりします。

病室では看護師さんから
「ペースメーカー手帳とお薬は出来るだけ早く持ってきてください」
と言われました。

ペースメーカーの個人に合わせた調節の情報がその手帳に書いてあるからだそうです。

その他、シャツ、ティッシュ、下着、
そういうものを頼まれました。

病院を出た後は一旦うちに帰って印鑑を取り、
それから実家に行って入院手続きの書類を作りました。

母には看護師さんから頼まれたものを用意してもらいました。

大した距離ではないので、もう一度病院に戻って届けることにしました。
母は
「今日は疲れているから明日で良いのではないか」
と言いましたが、自分で思いついたことなので実行しました。

E病院へは実家から1200メートル、うちからは820メートルです。
キョリ測で測った直線距離です。

病院につくとナースステーションに主治医のT先生がいました。
僕は初めて会います。

看護師さんが「あ、息子さんがきました」
といったので分かったのです。

T先生はぼくをナースステーションの中に招き入れて画像を示しながら
状態を説明してくれました。

T先生は人見知りなのか、あるいは警戒していたのか
はじめて顔を合わせたときは表情が硬かったように思いました。

今まで掛かりつけでずっと通っていたのにこのような結末になったことを
責められるのでは、と警戒した可能性もあります。

しかし、医師と対立するよりも医師と協力関係を築いたほうが賢明です。

僕は患者家族でありながらMRとして身につけた立ち居振る舞いでT先生に接しました。

話をしているうちに警戒心はとけたようでしたし、
初めての面談で関係を構築することが出来たと感じました。

父の画像を見せてもらいましたが、それは今回の転倒前のものでした。
脊髄が1ミリに狭窄していました。

僕は加齢によって頚椎がつぶれて脊髄が圧迫されていると想像していたのですが骨に異常は見られませんでした。

心機能はEFで17%だったため前回手術は中止となりましたが、
今回の検査では22%となっていました。

「これが有意な差か分かりませんが、良くはなっていますね」
と僕はいいました。

「最終の意思確認は必要ですが、父も家族も手術を希望しています」と
先生に意志を伝えました。

先生は頸部の模型を取って来て僕に説明をしました。
それはある製薬会社がサービス品として整形外科の先生に配っていた模型でした。

「ああ、ぼくそれ、昔配っていました」
と先生に言うと先生は笑っていました。
これで僕の素性は伝わったはずです。

先生はオペの術式の説明をしてくれました。

心機能が低下しているので死ぬ可能性があるとの説明がありました。
手術しないよりも手術したほうが良くなる可能性は高いが、
脊髄損傷の場合、結果がどうなるか個々のケースによってばらばらで
予測することは困難である、とのことでした。

そして、再び歩けるようにする、というのはとても高い目標設定であり、
車椅子に座って自力でその姿勢を維持出来るようにすることが現実的な目標である、という説明を受けました。

まあ、実際の話は少し違っているかもしれません。
自分の解釈した内容はこうでしたが、メモを取っていたわけでもないのです。

オペをするかどうかは麻酔科の先生と相談する必要があるし、
今は、父の脊髄が炎症を起こしているのでそれが治まるのを待つ必要がある、それにT先生のオペの予定も詰まっているので、順番待ちの必要もある、
ということでした。

今後のスケジュールとしては
手術をして、リハビリテーション病院に転院、老人ホームに入居か
手術なしでリハビリテーション病院に転院、老人ホームに入居
ということになるであろう。

今は要介護度が2で現状に合っていないので区分変更の手続きを
早急にケアマネージャーに連絡をして進めるように、
との指示を受けました。

医師に会うのは難しいのです。
会えたとしても先生が話が出来るタイミングであることも稀です。

その日のうちにペースメーカー手帳を届ける、
というひらめきを実行したからこそT先生と会うことが出来ました。

早めに話をしておいて損はありません。

先生のとの面談が終わって父の病室に行き、
T先生との話の内容を伝えました。

ちょうど夕食が届いていたときでした。
看護師さんがふたり父の周りで作業をしていました。

父は、
「ヒデキそこの食事をとってくれ」
と言いました。

介護ベッドへの食事のセットのしかたなど知りません。
それをやるために目の前に看護師さんが来ています。

言う相手を父は間違えています。

さらに母から預かった入院セットのカバンの中から
あれはここに置いて、それ以外はロッカーに入れろ、
と言います。

分かる訳がない。

あちこち走り回っていろいろ環境を整えるのが僕の役目と認識しています。
こんなにやる息子はそうはいないだろうとも自負しています。

それなに顔を合わせれば、その瞬間に
「あれやれ、これやれ」
でうんざりします。

「わかんねえよ」
と切れて、すぐに帰りました。

つづく、かな?書くのも嫌になってきましたが、
まだ、状況は落ち着きません。

 

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プロフィール

 

ひでき

 

 

 

はじめまして。
ひできです。メールアドレス mtwoods2018@gmail.com

母方の祖父母から4代小岩に住んでいます。
大学卒業時就職活動に失敗し小さな製薬会社に就職。
そこではスキルが身に付かないと危機感を抱いて1年で退職。外資系製薬に転職。入社後即、そこよりも大きな外資系製薬に吸収合併されて上司、先輩の多くがリストラされるのを目の当たりにしました。
そこから転職を繰り返してより専門性を高め、高めた結果、目標になる上司、先輩、同僚が見当たらず仕事がつまらな過ぎて脱サラ。
2018年は1年間主夫をしながら家族とたっぷりの時間を過ごしながら父の介護もしていました。
長男は自閉症。
20年専業主婦だった妻は代わりに仕事を見つけて働きに出ています。仕事以外に5つのコミュニティーい所属して日を追うごとに活性化しています。
脱サラ直後はFX(外国為替証拠金取引)で生活費程度稼げていましたが、2018年8月のトルコリラショック以降お小遣い程度の収入。
インターネットビジネスに希望を見出してブログスタート。いつかはパソコン1台で稼げるようになりたいなあと夢に満ち溢れている1973年生れの46歳です。2019年5月から電子書籍の発行を始めています(10月現在10冊発行)。僕が書いた本のご紹介