介護

脱サラ主夫の実父介護日記 退院転送入院対応

投稿日:2018年10月27日 更新日:

こんにちは。
Mt.Woodsです。

脱サラ主夫 父が倒れて脊髄損傷 救急搬送に同行
の続きです。

救急車でT大病院に運ばれて、
僕が家に帰ったのは夜中の3時でした。

朝の家事をせねばと思ったのか、
7時に目覚ましをセットしていて一旦は目を覚ましました。

妻がちょうどやってきて(妻とは寝室が別です)
9時以降に病院から連絡がくるならもう少し寝ていたら、
と言ってくれたので9時までまた寝ました。

やはりとても疲れていました。

9時に起きて朝食を食べながら昨日何があったのか
妻に話をしました。
10時間分の話ですから、話すことはつきません。
40分くらい話をしていたらT大病院から電話が入りました。

おそらく医師だと思われる男性からの電話でした。
「E病院と連絡がとれて、これから介護タクシーの手配をします。
1-2時間後に出発します」

という連絡でした。

「2時間後なら間に合いますが、1時間では到着は無理です。
すれ違う可能性もあります。E病院で待機していたほうがよいですか?」
と聞いたところ、

「こちらもいろいろ手続きがあるので
1時間で出発は無理です。是非来てください」

ということでした。
1時間以上2時間以内にT大に来い、という連絡です。

母と待ち合わせをしてその時間内でT大に行くのは難しいので
僕1人で行くことにしました。

母に電話をしてそのことを伝えました。
母も疲れて起きれず、先ほど起きた、ということでした。

僕が1人で迎えに行くことに関してはありがたがっていました。

うちの最寄り駅の小岩からT大に向かうには
お茶の水か御徒町がJRでは最寄り駅です。

御徒町のほうが道路の方向とタクシーの関係が良いと思い
秋葉原で京浜東北線に乗り換えました。

誤って快速に乗ってしまい御徒町を通過し上野につきました。
ホームを跨いで乗り換えて御徒町に行くよりも
上野からタクシーで向かった方が早いと判断して上野でおりました。

上野公園口で外にでると
駅前が工事中でかつてのようなにタクシー止まっていなく、一台も見当たりませんでした。

寛永寺の方角へ道路沿いに進み、
最悪の場合は国立博物館の前でタクシーを拾う計画にしました。

結構時間がかかります。
裏目裏目に出た、と思いました。

若い頃なら気持ちがせいで走っていたでしょうが、
この先長丁場になると思い、速足で歩き続けました。

後ろを見るとちょうどタクシーが走ってきたので
捕まえて乗せてもらいました。

「タクシー乗り場なくなっちゃったんですか」
と聞くと、
「ここにありますよ」と
前方を示されました。

科学技術館前にタクシー乗り場の標識が出ていました。
女性が1人立っていました。

あら、先に待っていた人がいたのに横取りしてしまったようです。
でもあのシステムは変ですよ。
真面目に並んでいる人がその手前でどんどん後から来た人にタクシーを取られてしまう。

自分の記憶の整理のためにも
タクシーの運転手さん相手に昨日あったことを話しました。

ロコモティブシンドロームはやはり運転手さんは知りませんでした。
上野からだと公園周りでグルっと遠回りする感じになりますが、
「鉄門」と呼ばれる病院入口近くの狭い道で降ろしてもらえました。

病院へ入って救急病棟へ直行。
インターフォンで来院を告げ、待っていると看護師さんがやってきました。

「昨日と同じところで退院手続きをしてきてください。
それとハードタイプのカラーコルセットをしていますが、
今のは病院のもので、転院になるので売店で買ってきてください」
と言われました。

そして、商品名の書かれたメモを渡してくれたのです。
「さすがですね」と称賛の言葉を伝え、
すかさず僕はエレベーターのボタンを押しました。

すると入れ違いで事務員の方がやってきました。
「まだ会計が上がって来ていないので領収書は後日郵送になります」
とのこと。

だからなんなのか、は、後に判明しました。

クレジットカードの引き落としが4日後だと昨日聞いていました。
事前にいくらなのか把握していないと銀行口座にいくら準備しておくべきかもわかりません。

会計が済んでいくらかわかったらメールで連絡してもらうことはできますか?
と聞くと、分からない、と顔に出たので、1階の会計で聞くことにしました。

病院というところは各部署に専門家が集まっている集合体です。
各持ち場に関してはプロですが、自分の管轄を離れると何も知らないに等しいのです。

エレベーターが到着したこともあり、
他に用事がないか確認して事務員さんと別れて1階へ向かいました。

 

看護師さんの言われたとおりに昨晩入院手続きをした
救急外来受付に行くと半分シャッターが降りていて
女性が1人座っていました。

用件を伝えると、
「入退院センターでの対応になります」とのこと。

看護師さんの言っていたことと違いますし、
入退院センターがどこかも分かりません。

でも、そんなことをいちいち気にしていては
気持ちが持ちません。

あたりをつけて引き返すとすぐ入退院センターが見つかりました。

大病院は広いので移動だけでも結構大変です。
人も多いし、ゆっくり歩いている人が少ないくないです。

体力の落ちた母がこれをするのは大変です。

入退院センターに入ると職員はそれぞれ別の人の対応をしていて
そこに入って僕が何をどうすれば良いか教えてくれる人はいません。

病院によってシステムがみんな違うので何をすればよいのか利用者は分からないのです。

過去の経験から、順番待ちの番号を確保することを考えました。

見渡すと発券機を発見しました!

近づいてみるとボタンが2つあります。

「入院手続き」と「支払い」
とあります。(正確な単語ではありません。ニュアンスです)

退院手続きがない!

言われたとおりのものがない、あるはずのものがない、分からないことに直面すると
ストレスになります。
こういうちょっとしたことでエネルギーを使います。

人は先の見通しの付くルーチン作業を日々しています。
潜在意識によってなかば無意識に体が動いています。
今回の僕の経験のように、全てが初めてのことをするときは
意識の力全開で対応するので疲れるのです。

入院手続きではないので「支払い」側のボタンを押して
番号カードを入手して、椅子に座って待機します。

と、椅子に座った途端に、壁からぶら下がっている
ボードに「入院・退院手続き」という文字が書かれていることに気が付きました。

もう一度発券機に戻って「入院」側のボタンを押して番号を入手しました。

「こちらではありません」と言われた場合に備えて
両方の番号を持って待機です。

するとすぐに呼ばれました。
入院手続き側のデスクにいた人が、
支払い側のデスクに移動して対応してくれたのです。

スタッフの人はどちらも対応できるので
どっちの番号でも良かったようです。

救急科から退院手続きをするように言われた旨を伝え
患者氏名を告げました。

そのスタッフの女性はパソコン画面を確認して
父の名前がないことを知ります。

まだ会計が済んでいないと聞いていると伝えました。
救急病棟に連絡をその女性はして、
クレジットカード払いであることを確認しました。

クレジットカード払いで、後日、領収書は郵送になる。
なのでやることはないです、ということです。
「退院手続き」をするように言われました、
というと
「支払いのことで退院手続きというものはないのです」
とのことでした。

以前父が入院したM病院には退院手続きというものがあったのです。

ほう、そうなのか、と納得すると
「はい、終了です」という雰囲気になったので、
入院費の事前連絡の依頼をしました。

メールで連絡してください、というと
「メールではしていないので、電話になります」とのこと。
携帯番号を伝えてこの場面は終了となりました。

世の中インターネットやITツールがまだまだ活用されていない、と今回は感じました。

メールなら相手の時間も関係ありませんし、
定型文を作っておけば、名まえと金額を変えるだけで終わります。
記録としても残るという利点もあります。

救急車に乗った時も改善の余地は十分あると思いました。

救急隊の人が受け入れ先の病院を一生懸命探してくださったのですが、
何度も電話で同じことを話しているのです。

音声で文字入力をして電子情報化すれば何度も同じことをいう必要はありませんし、
読むほうも早く情報が手に入ります。

文字情報を送ったうえで電話で話をするのが一番間違いがありません。

それはさておき、退院手続きが済んだので次はハードタイプのカラーコルセットの購入です。

売店は入退院センターのすぐ隣です。
昨晩と異なり多くの人でにぎわっていてレジには長蛇の列ができています。

医療用品コーナーを2周しましたが、目的のものは見つかりません。
場所を変えて探しましたがありません。

また医療用品コーナーに戻ると店員さんが品出しをしていました。
看護師さんからいただいたメモ、、、

そうそう、入退院センターから売店に移動する際に
そのメモを無くしたことに気が付いたのです。

男の服はポケットが多いのです。
あちこち探して結局見つかりました。

そのメモを店員さんに渡すと奥に入って行って
とってきてくれました。

値札はありませんし、店員さんも言いません。

いずれにしても買わなければならないのでレジに並んで会計をしました。
フォーク式なので列は長いのですが、順番はすぐにきました。
待ち時間ほとんど無です。

さすが、すごいぞT大病院。

ピッとあてると9780だったでしょうか、約1万円です。
カード払いです。

やれやれ、これでミッション完了です。
トイレにちょっと寄って救急病棟に戻りました。

インターフォンで名前を言うと看護師さんが迎えに来てくれました。
「昨晩父はいかがでしたか?ご迷惑おかけしませんでしたか?」
と聞くと
「全然です。私たちにも優しくしてくださって」
とのことでした。
まあ、なんとなく想像はつきます。

退院にまつわる何かの書類にサインをしました。
覚えていません。ああ、返却物の確認だったように思います。

それから、E病院の先生向けの情報、
事務の人への書類、となんか。
3つの封筒をクリアファイルに入れて
看護師さん?が僕に渡してくれました。

それぞれ説明してくれましたが、
病院の受付か誰かに渡せば該当箇所に渡るはずです、とのこと。

直ぐに介護タクシーの人が来て、
スタッフ6人がかりで父をストレッチャーという名の担架に移します。

それで一段落。
みんな解散。

介護タクシーの運転手さん一人でストレッチャーを押していきます。
あら、他の人は、と思いますが、最後まで運転手さん一人でした。

下手に素人の僕が手を出してはいけないと思い、
後ろからついていきました。

人込みでごった返す入退院センター、売店の横を通り抜けます。
担架が移動中にも関わらず突進してくる人がいます。

前を見ない人が世の中多い。

僕は担架の前に移動して露払いをしました。

運転手さんは警備室に入って退館手続きをして
車を移動して、それから戻ってきました。

父を乗せたストレッチャーは車についた機械で自動的に
タクシー内に収容されました。

T大病院を出ると本当に狭い道を旋回します。
その先に路駐している車があり、いったんバックして切替します。

そんなところに止めるなよ~!
と思うのですが、きっとあの人たちにも事情があるのでしょう。

病院の裏に駐車場があるのですが、知らない人にはわかりません。

出発して、カラーのお金のことを言いました。
1万円もするのか、というので医療用品は高いのだと説明しました。

父は、介護保険の適応となって自力での外出ができなくなったころ、
「お父さんは家にいるだけだからお金はほとんどかからない」
と言い、母に
「病気したらこれからかかるんだよ」
と言われたそうです。
母は、父のこういうところを世の中を知らない、と嘆いていました。

だから、お金かかるんだよ、と説明しました。

あ、入退院センターでのやり取りをまた一つ思い出しました。
引き落としは2週間後だと言われたのです。
最初は4日後と言われたので確認をすると、
外来は4日、入院は2週間後だ、ということ。

救急外来にも掛かっている、と言うと
入院に移行しているので、全てが入院扱いになる、
とのこと。

聞いたことが次々と変わっていきます。

僕が最初に父が倒れているところを目撃した時は
手足は全く動かなかったのですが、
翌朝、T大病院であったときは、
手足が不十分ながらも脳の刺激に反応して動いていました。

驚きました。

ステロイドが効いたのです。

父は看護師さんにその薬の名前を聞いたのだそうですが、
申し送り書にちゃんと書いてあるので心配いりません、と言われて
教えてもらえなかったそうです。

なので僕は、
「ちゃんと見ておいたよ。メチルプレドニゾロンという薬だったよ。
ステロイドは発売当初は夢の薬って言われていたんだ。
あらゆる症状に素早く効くんだよ。

でも、そのうち色々な副作用が出ることが分かって
内科の先生とかはあまり使いたがらない。

でも、血液内科の先生はものすごく大量に処方する。
ぼくはその薬を売っていたし、
全例調査でその薬の反応も調査したけど、
言われるほどひどい副作用は出ていなかった。」

と父に言いました。

父はそのままT大での治療を望んでいました。

E病院での治療に納得が出来なければT大病院への転院交渉をするか、という打ち合わせをしました。

いずれにせよ病院には長くいられないし、その体では家にはいられないので
老人ホームを探す手続きを始める、と告げて、了承を得ました。

父は「昔の養老院だな」と自虐的なことを言うのでうんざりしました。

とにかく父は漠然と迷惑かけてごめんと僕に言います。

でも、歩かなければ歩けなくなるのを分かっていたし、母から注意されても歩かなかった。
1本杖では不安定だから2本杖がよい、と僕がお世話になった先生からアドバイスを受けて、僕が2本杖(登山用の杖)を用意していたのに、一本しか使っていなかった。
自業自得だ。

ベストを尽くしてこうなったのなら、謝られても受け入れられるが、
やることやってないんだから、謝られても納得できない、と言いました。

父は、「言い訳するようだけど、左手がマヒして杖を2本使うのは難しかった」
と言いました。

僕は、杖を渡したとき、2本ちゃんと使えるのを確認しています。
使えなくなった段階で言えば、別の対処方法を探したのに、
自己流で済ましていたのです。

そう伝えて「泣けてくるよ」となじりました。

徳田虎雄さんは難病で動けなかったししゃべることも出来なかった。
お父さんはまだ口が利けるのだから、周りの人を幸せにするような
話法を身につけてください、と言いました。

そうこうするうちにE病院に到着し、
母が待っているのが見えました。

病院について何をすればよいか分かりませんが、
運転手さんと母に、取り敢えず受付に行ってくると伝えました。

つづく

 

-介護

執筆者:


  1. Chee より:

    お疲れ様です。大変でしたね。救急&手続きで走り回る大変さは想像できます。
    お父様の手足が動くようで良かったです。少しでも良くなって、安心して暮らせるといいですね。

    • mtwoods2018 より:

      Cheeさん、
      あんな長い文章を読んでくださったんですね。ありがとうございます。
      備忘録的にあの次も書いていこうと思っています。
      僕は普通の人よりは病院になれていますがそれでも大変でした。
      母にあの大変さを味あわせなかっただけでも脱サラしていてよかったです。

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脱サラ、フリーランスに特化した
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ひできです。メールアドレス MtWoods2015@yahoo.co.jp

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大学卒業時就職活動に失敗し小さな製薬会社に就職。
そこではスキルが身に付かないと危機感を抱いて1年で退職。外資系製薬に転職。入社後即、そこよりも大きな外資系製薬に吸収合併されて上司、先輩の多くがリストラされるのを目の当たりにしました。
そこから転職を繰り返してより専門性を高め、高めた結果、目標になる上司、先輩、同僚が見当たらず仕事がつまらな過ぎて脱サラ。
2018年は1年間主夫をしながら家族とたっぷりの時間を過ごしながら父の介護もしていました。
長男は自閉症。
20年専業主婦だった妻は代わりに仕事を見つけて働きに出ています。仕事以外に5つのコミュニティーい所属して日を追うごとに活性化しています。
脱サラ直後はFX(外国為替証拠金取引)で生活費程度稼げていましたが、2018年8月のトルコリラショック以降お小遣い程度の収入。
インターネットビジネスに希望を見出して「慶應わっきー」で勉強してブログスタート。いつかはパソコン1台で稼げるようになりたいなあと夢に満ち溢れている1973年生れの45歳です。