主夫 介護

脱サラ主夫 父が倒れて脊髄損傷 救急搬送に同行

投稿日:2018年10月26日 更新日:

こんにちは。
Mt.Woodsです。

2017年末に脱サラをして
主夫をしながら自閉症児の療育、実父の介護をしています。

先日、その父がとても大変なことになってしまいました。
そのことを詳しく今日はご紹介します。

ペンネームで僕はブログを書いていますがかなり個人的な情報を出しているので
読む人が読めばどこの誰だか分かるはずです。父も特定できると思います。

なので、病気のことを書くことの是非を考えました。
本人の了解もとっていません。

ただ、全く動けなくなった父が出来る社会貢献と言えば、
父とぼくら家族が経験したことを公開することなのではないかと思い、筆をとりました。

2018年10月23日17時過ぎ
僕の携帯に母から電話がありました。
「お父さんが転んで起き上がれなくなっちゃったからおこしに来てほしい」と。

実家は僕の家から直線距離で390mのところです。
自転車ですぐに向かいました。

父は現在73歳です。
63歳の時にかなりひどい心筋梗塞を起こし、
その後慢性心不全を患っていました。

今年の4月に心不全が急激に悪化して救急車で運ばれて
手術をし、ペースメーカーが埋め込まれました。

その前後に手足にしびれ、痛みを感じるようになりました。

7月に最後かもしれない、と静岡へ兄弟会に出席するために出かけました。
東京に戻って来て、遅くなったので外食をしに出掛けた際に
転倒して救急車で運ばれました。

その後1ヶ月外出せず自宅にこもっていました。
8月に手足のしびれのため神経内科を院内紹介されて
検査をしたところ「頚椎がつまっている」と言われて
手術のため整形外科へ院内紹介されました。

手術のため入院したところ、
術前の検査で心臓の機能が低下しすぎていて手術できない、
と言われて介護保険でリハビリを受けることになりました。

介護保険の手続きはすべて僕がやりました。

歩かなかったことで筋力が落ちてしまい、
床に腰を落とすと自力で立つことが出来ません。

そのためテーブルを変えて生活様式を床生活からテーブル生活に変えました。

母からの電話を受けて、筋力が落ちたため起きれなくなったのだろう
と思って実家へ向かいました。

玄関を開けるとうつぶせになって倒れている父がいました。
「起こしてくれ」と父に言われて起こそうとしましたが
完全に脱力していてうつぶせを仰向けにすることすら難しかったです。

なんとかひっくり返して玄関の段差に座らせました。
おぶってベッドまで連れて行こうとしましたが、
重くて無理でした。

父は、4月の手術後体重が落ちて70キロちょっとだったはずです。

座った状態で引っ張って行ってくれ、と言われて
ズボンの、お相撲さんのまわしにあたる、そうそう、ベルト部分をもって
父のベッドが置いてある居間までひぱって行きました。

5日前にしりもちをついて痛めた尾てい骨が痛い、と言われました。

居間の5センチ前後の段差をなんとかクリアして
ベッドまで運び、そこに座らせました。

引きずる前、玄関に座らせたとき
「あれ、足が全然動かない」と父は言っていました。

足どころか手も、足も全く動きませんでした。
これではトイレに自分で行くことは不可能です。

母1人で対応できるわけがないので
1泊自分が泊まることを考えました。

どうしてよいのか、父の状態がどなっているのか、
今、思えば完全に冷静さをぼくは失っていました。

父は、体は動けないのですが、
口は達者です。発声もしっかりしています。

なので、命とりになるような緊急事態に思えなかったのです。

でも、このままでは生活できません。

9月上旬に契約したばかりのケアマネジャーに電話をして相談しました。

「それは介護で対応する状況ではなく、救急車を呼んで病院へ運んでもらうレベルです。
転倒しているのであれば骨が折れている可能性もありますから」
とのことでした。

救急車を呼ぶことにためらいが僕にはあったようです。

でも、ケアマネジャーからそう言ってもらえたので
救急車を呼ぶことが出来ました。生まれて初めての119でした。

電話を掛けるとしばらくして3人の救急隊員が駆けつけてくれました。

救急隊とのやり取りの順番は忘れましたが、
意識の確認がされました。

名前を聞き、あとは忘れましたが、そういう自分に関することを聞かれ、
最後に今日の日にちを聞かれました。

これは中々言えない人もいると思いますが
父は「10月23日だった思います」と回答。

救急隊は「意識清明」と判断しました。

状況確認も行いました。
上記の病歴をはなし、今日起きたことを父は説明しました。

僕もこの時点で初めて何が起きたのかを把握しました。

午後2時頃、テーブルで昼食を食べた後に
テーブルセットの椅子に座ったままうたた寝をし、
椅子から転落して左側頭部を打ちました。

起き上がれない父は、玄関まで匍匐前進で進み、
玄関の段差を利用して起き上がろうとしました。

母は2階の自分の部屋にいました。
1階の玄関から父は母を呼びましたが、

扉を閉めていたこと、
母は耳が悪く耳鼻科に2年近く通院している状態であること、
その日は具合が悪く寝ていたことがあり、

16時近くまで父は気が付かれませんでした。

何か物音がする、と気が付いた母が下に降りると父が倒れていました。
この時は母の助けで起き上がることが出来ました。

その際、父は再度倒れて階段の角に顔を正面からぶつけます。
それで動けなくなり、僕が呼ばれました。

そのように説明したところ、
救急隊から「救急車を読んだのはなぜですか」と言われて
「ケアマネジャーに相談したところ、そのようなアドバイスだったから」と
僕が答えました。

救急車を呼ぶ前に掛かりつけのE病院へ電話をぼくはしています。
「整形外科に掛かているものだが、病態が悪くなったので入院の相談を
整形の看護師さんとしたい」と代表の交換係に伝えたところ、
外来は17時までなので電話はつなげられない、と言われて電話をつないでもらえませんでした。

そして、救急車を呼びました。

家の中で父の状況を確認した救急隊がおそらく病院へ連絡をして、
父の病状を説明していました。

同時進行で担架に父を乗せて固定し、救急車に運びました。
僕が119に電話をしたのは17時29分でした。

救急車に移動してからも病院探しは続いていました。
家の近隣である下町地区の病院にあたりましたが
なかなか受け入れ先は見つかりませんでした。

救急隊は千葉への搬送も検討していましたが
本部?の指示でそれは実行されませんでした。

そして、文京区のT大病院へ連絡をしたところ、
「オペ室がクローズしているので手術対応となった場合は
他院へ再度転送になりますが、
それまでの処置であればT大病院で受けてくれるそうです。
それでよろしいですか」と聞かれて、
父も僕も了承しました。

母は救急隊の言っている意味が理解できなかったため僕に解説を求めました。
「手術室がもう閉まっていて、手術できないから、
手術が必要な時は他の病院へ移すことになる」と説明しました。

父は、担架に縛られた段階から、尾てい骨の痛みをしきりに訴えていました。

「痛い」と僕に言うのですが、勝手に僕が動かしてよいのか分かりません。
救急隊に相談したところ、
ボックスティッシュくらいの大きさのガーゼのようなものを2,3つ父の腰に当ててくれました。

それでも父は痛みを訴えます。

で、また僕が救急隊に対応を依頼します。

今考えると父が直接救急隊に頼むことも出来たのです。
狭い社内に一緒にいたのですから。

でも頼みやすい僕に言うのです。

一連の騒動でとても多くの人の助けをいただきましたが、
それらの人との対応は基本的に僕が対応しました。

別の隊員の人が毛布をお尻にひいたほうがよいのでは、
と言い、実行してくれました。

1人が持ち上げて、1人が毛布を差し込んでくれました。

脱力している父の身体を一人で持ち上げるのは
日頃鍛えている救急隊でも大変そうでした。

それでもまだ痛いと父は言います。

2人の救急隊が運転席に移動してしまっていたので
その場にいた隊長に対応を依頼します。

隊長は毛布を下にずらしてより、お尻が
保護されるようにしてくれました。

目的地が決まって出発すると
思っていた以上に救急車は揺れます。

赤信号にも突入するのですが、
安全確認のためブレーキを掛けながら進むので
揺れるのです。

父は、「痛い、痛い」と訴え続けます。

運転中で動けないからどうしようもない、と伝えました。

それでも痛いと言い続けるのです。
30分くらいの間でした。

父との関係は必ずしも僕は良好とは言い難いところがありましたが、
さすがに気の毒になって、痛いという思いを受け止めてあげることにしました。
「辛いね、どうしたらいい?」と父に聞きました。

父はお尻の下に手を入れて体を斜めにしてくれ、と言いました。
そうしたところ、だいぶ楽になったと言いました。

母は痛いという父に対して「我慢しなさい」と毅然と言っていて
女の人はすごい、と思いました。

まあ確かに妊婦さんは何時間も痛みに耐え続けるのですから。

救急車を降りたときに母が笑っているので理由を聞くと
「ヒデキはやさしいね」と言っていました。

手足の動かない重病人が痛い痛いと言っていたら普通動揺します。

119に電話をしたのが17時半。家を出発したのが19時半、病院に到着したのが20時頃でした。

救急外来に救急隊が父を運び、
僕らは救急外来受付で受付をするように言われました。

書類に名前等を記入後、受付前のベンチで母と並んで座りました。

救急には今にも死にそうな人が運ばれる、というイメージがあったので
手足が動かないだけの父は後回しにされてなかなか受け入れ先の病院が見つからないのだと思っていました。

が、移動中のことでしたが、救急隊の人が、
父の場合、循環器、整形外科、脳神経外科と多科にまたがる症状であり、
特に脳外の先生がいないところが多くて、
なかなか受け入れ先が見つからない、ということでした。

父の場合、心臓の問題で手術の対象にもならない可能性が高いのです。

以前、救急車で運ばれても入院させてもらえず返された経験のある母と僕は
入院させてもらえないのではないか、ということを心配していました。

気が付くと母のところに電話着信の履歴がありました。

番号を僕のスマホでgoogle検索したところ、
救急車を呼ぶようにアドバイスしてくれたケアマネジャーの所属する施設の
電話番号でした。

19時頃、僕たちが救急車にうつって、受け入れ先の病院が
決まるのを待っているころの着信でした。

気が付いた時は20時半ごろだったと思います。
ダメもので掛けなおして、着信履歴だけ残しました。

すると、しばらくして携帯電話の番号で着信がありました。
出るとケアマネジャーさんでした。

心配してかけてきてくれたのです。

状況を説明し、なんやかんやしばらく話をしたのですが、
覚えていません。
覚えているのは、「入院させてもらえない場合、どうやって交渉したら
入院させてもらえるかアドバイスください」と言いました。

するとこう教えてくれました。
「我が家では介護できる状況ではないです。
母は体力的にも無理だし、今回のことで精神的にも参っている。
息子であるぼくは同居していないし、仕事もあるから」
というと良い、というのです。

それだけでも、その時はありがたいアドバイスでした。
ただ、それは杞憂でT大病院は入院させてくれました。

それから待てど暮らせどだれも来ません。
周りの人たちはどんどん帰っていきます。

一度看護師さんらしき人が来て
「今日は救急外来が混んでいて、画像診断の結果が
出るのに時間がかかっている。
しばらくお待ちください」とのことでした。

また、救急隊の人が帰る時に挨拶に来てくれました。

22時か23時頃か忘れましたが
特にお腹は空いていなかったのですが、
なにも食べていなかったので
食べ物を探すことにしました。

10年ほど前に短期間ですがその病院の担当になったことがあり
だいたいの位置関係が分かっていたので
売店を探しに出発しました。

なくても自動販売機で食べ物があるだろう、と
あたりをつけていました。

売店はまだやっているようでした。
聞いてみると24時間やっていると言います。すごい、さすがT病院。

食べ物を買ってどこで食べるのかを聞くと、
特に指定の場所はなく、みんなベンチで食べていて
怒られていないようだ、という回答でした。

僕はおにぎり二つ、母にはパンを二つ買っていきました。
受付の人に軽食を食べてよいか確認をとりました。OKでした。

お腹は空いていませんでしたが、
本当にごく普通の菓子パンでしたが
母は「美味しいね」と言い、
僕もお握りをたべて、
気持ちが少しほっとしました。

食事には空腹を満たす以外の効果があります。

僕と母は仲が良いので途切れることなく
話続けて次の展開を待っていました。

待てど暮らせど誰も来ないので
ベンチにふんぞり返って眠ろうとしましたが
母が話しかけてくるし、
特別眠くもなかったのではなし続けました。

次第に終電を母が気にし始めました。

iPhoneで調べて最寄駅からの終電が0時30分ごろだとわかりました。

その時点で23時半ごろでした。

0時過ぎごろにやっと呼ばれて中に入り、
骨には異常がない、と知りました。

整形外科の頚椎専門の先生が運よくその日は当直でした。

脊髄損傷の場合、ステロイドの点滴静注で症状が改善することがある、
しない場合もある、ステロイドの副作用にはこのようなものがあるが
どうするか、と聞かれ、
父も僕もステロイドの投与を依頼しました。

ステロイドの種類の説明はありませんでしたが、
僕はバイアルを確認し、それがメチルプレドニゾロンであることを記憶しました。
300㎎だったように思います。

そのやり取りの前後に、今日は入院になるので手続きをするように、
ということでした。

再度救急外来受付に行き、入院手続きをしました。
連絡先の記入と保証金に関しての選択です。

現金の場合は10万円(?)を明日持ってくる必要がある。
クレジットカードならこの場でOKとのことでした。

クレジットカードを選択しました。
クレジットカードはもっていて、本当に重宝しました。

ありがとうVISA!

手続きを終えて救急処置室に戻ると父がまた
尾てい骨の痛みを訴えています。

2人の看護師さんがそれに対処してくれました。

でも、看護師さんはあまり本気ではありません。
「うごかさないことも治療なんですよ」と
説明してくれました。

また画像も確認し尾てい骨の骨にも異常がないことが分かりました。
打撲だそうです。

痛みを放置することで症状が悪化して尾てい骨が粉砕してしまう、
というのであれば、医療スタッフに対応をお願いしますが、
放置していても特に悪くなることはなさそうですし、
逆に動かすことが脊髄によくない、ということが分かりました。

もう、病院に入っているのです。
しかも日本一の知能レベルを誇る病院です。

僕が口や手を出すところではありません。

なにも出来ないのを分かっているのに
父は痛みを訴え続けます。

黙った聞いている母と僕はどんどん元気がなくなります。

救急車の中で一度優しくしたので味をしめたとおもいました。
痛い、と言ってこちらの気を引いてエネルギーを吸収しているのです。

これに関しては、非科学的ですが、「聖なる予言」というとても面白い小説を読んで、エネルギーの取り合い、という考えをぼくはもっています。余談ですが。

僕らはいても何もできないし、どうしようもないのを分かっているのに
痛い痛いと訴え続ける父に腹が立ち、
黙って、母を連れて処置室を出て、看護師さんに告げて待合室に移動しました。

父から離れて正直ほっとしました。

1時半にようやく病棟へ移動となりました。

病棟の待合で、また少し待ち、
なにか手続きをしたかもしれません。
もう忘れました。あ、やっぱり何か書きました。日にちを跨いでいたので、24日で良いか、確認した記憶があります。

明日は掛かりつけで地元のE病院へ転院ということになりました。
その出発時間の目安、僕らが迎えに来るべき時間というのを
救急で話をされました。

救急外来では救急の先生と、整形の先生と話をしました。
10時ごろに来てください、と言われたと病棟の看護師さんに伝えました。

看護師さんからは、それは何かの先生か、と聞かれました。
僕はかなり記憶力がよい、と言われるのですが、
その時は覚えていませんでした。

徐々に思い出して、救急の先生に言われた、と思う、と伝えました。

T病院からE病院への搬送に、家族の存在は必須ではない、とのことでした。

家からT病院までは1時間以上かかるので、
すれ違うリスクがあるからE病院で待機する、父の前で看護師さんに伝えました。

父は母に「お母さんも来てくれないの?」と言っていたそうです。

病室を出て看護師さんとは、
明朝、受け入れ先の病院との交渉結果が分かってから僕に電話をしてもらうことにしました。

病院を出たときは2時になっていました。

往きは救急車でしたが、帰りは電車もなくなった深夜に病院を出ることになったのです。
とてもとても広い病院です。

外に出てもタクシーはみあたりません。
僕は担当していたときの経験でタクシー乗り場の記憶がありましたので
そこへ向かいました。

1台だけ待機していました。
ほっとしました。

家に着いた時は3時でした。

妻は夕食を用意してくれていましたが
何も食べずに寝ました。

興奮状態であったと思います。
寝付いたのは4時前ではないでしょうか。

17時呼ばれて11時間近くが経っていました。

しかし、朝起きたらまたT病院へ行かなければなりません。
まだまだやることは続きました。

長くなり過ぎましたので、今回はここで中断します。

 

-主夫, 介護

執筆者:


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プロフィール

 

ひでき

 

脱サラ、フリーランスに特化した
「ひできの脱サラ日記も始めました。

 

はじめまして。
ひできです。メールアドレス MtWoods2015@yahoo.co.jp

母方の祖父母から4代小岩に住んでいます。
大学卒業時就職活動に失敗し小さな製薬会社に就職。
そこではスキルが身に付かないと危機感を抱いて1年で退職。外資系製薬に転職。入社後即、そこよりも大きな外資系製薬に吸収合併されて上司、先輩の多くがリストラされるのを目の当たりにしました。
そこから転職を繰り返してより専門性を高め、高めた結果、目標になる上司、先輩、同僚が見当たらず仕事がつまらな過ぎて脱サラ。
2018年は1年間主夫をしながら家族とたっぷりの時間を過ごしながら父の介護もしていました。
長男は自閉症。
20年専業主婦だった妻は代わりに仕事を見つけて働きに出ています。仕事以外に5つのコミュニティーい所属して日を追うごとに活性化しています。
脱サラ直後はFX(外国為替証拠金取引)で生活費程度稼げていましたが、2018年8月のトルコリラショック以降お小遣い程度の収入。
インターネットビジネスに希望を見出して「慶應わっきー」で勉強してブログスタート。いつかはパソコン1台で稼げるようになりたいなあと夢に満ち溢れている1973年生れの45歳です。